山形市で開業する介護タクシー走蔵(はしぞう)の開業申請に始まり
日々の仕事、生活から感じたことなどを書いていきます。
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車1台でやっていると、時にお客様を大幅にお待たせ
してしまうことがある。
今日も病院からのお帰りの電話がほぼ同時に2件きて
しまって、あとになったお客様を40分もお待たせして
しまった。本当に申し訳ないことだ。
理由はいろいろあるにせよ、電話をしてから車が到着
するまで待つのは、ただでさえ病院内で散々待たされた
後なのでますます堪えるだろう。
横浜でやっていたときは、後半には信用できる仲間が
いたので、最悪の場合、代行をお願いしていたが、山形
ではまだそういう仲間もいないので、しばらくはこのまま
しのぐしかなさそうだ。
市内で開業したい方がおられれば、全面的にバックアップ
するのだがなあ。
してしまうことがある。
今日も病院からのお帰りの電話がほぼ同時に2件きて
しまって、あとになったお客様を40分もお待たせして
しまった。本当に申し訳ないことだ。
理由はいろいろあるにせよ、電話をしてから車が到着
するまで待つのは、ただでさえ病院内で散々待たされた
後なのでますます堪えるだろう。
横浜でやっていたときは、後半には信用できる仲間が
いたので、最悪の場合、代行をお願いしていたが、山形
ではまだそういう仲間もいないので、しばらくはこのまま
しのぐしかなさそうだ。
市内で開業したい方がおられれば、全面的にバックアップ
するのだがなあ。
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この2週間、続けて中学と高校の同窓会があった。
「還暦同窓会」ということで、いずれも「御祓い」付き。
約40年ぶりに会う人も多く、顔と名前が一致しない
人も多かったけれど、同じ世代を生きてきた連帯感
のようなものがあるせいか、話題は尽きなかった。
といっても、話題のほとんどは、そろそろ迎える
定年退職後の身の振りかたや、親の介護、それに
体調の話。それぞれの事情は違うものの、共感
することもあり、またお互いに参考にできる話題
の提供など、具体的に役立つ情報交換もできた
ように思う。
走蔵の仕事について、興味をもってくれる人も
かなりいた。中には、そろそろ介護タクシーも
使わないといけなくなりそうだから、と名刺を
請求されることも。
そういえば、今のお客様のほとんどが、自分の
親世代の人達だからね。
少しでも役に立てれば、とつくづく思う同窓会
でした。
「還暦同窓会」ということで、いずれも「御祓い」付き。
約40年ぶりに会う人も多く、顔と名前が一致しない
人も多かったけれど、同じ世代を生きてきた連帯感
のようなものがあるせいか、話題は尽きなかった。
といっても、話題のほとんどは、そろそろ迎える
定年退職後の身の振りかたや、親の介護、それに
体調の話。それぞれの事情は違うものの、共感
することもあり、またお互いに参考にできる話題
の提供など、具体的に役立つ情報交換もできた
ように思う。
走蔵の仕事について、興味をもってくれる人も
かなりいた。中には、そろそろ介護タクシーも
使わないといけなくなりそうだから、と名刺を
請求されることも。
そういえば、今のお客様のほとんどが、自分の
親世代の人達だからね。
少しでも役に立てれば、とつくづく思う同窓会
でした。
朝の散歩を始めてから、いろいろ心に留まる
ことがありまして。そのひとつが「あいさつ」です。
散歩をしていると、同じように散歩をしている方
から「おはようございます」と声をかけられます。
最初の頃は、それが煩わしくて、あまり返事も
せず、なるべく声をかけられないようにしていた
のですが、どうもそういう気持ちで歩いていると
せっかくの朝の散歩が楽しくなくなっていくのに
気づきました。
なぜ、あいさつが煩わしいのか?と考えてみた
のですが、散歩のときくらいは一人になって
自然と触れ合っていたい、などということかな、
と自分なりに思ってみたりして。
でも、それって結果的にあまり快適ではないの
であれば、むしろ素直に受け入れる方がいいの
だろうなあ。
そう考えてからは、挨拶をされることも気になら
なくなり、むしろ自分から積極的にするように
したら、そのほうが気分よく歩けるのでした。
もちろん、以前のわたしのように、挨拶をしても
返してくれない方もいますが、それはそれで
気になりません。
挨拶のことなどを書くと、いまどき「偽善的」と
言われそうですが、そういう風潮そのものが
あまりよくないのかもしれません。
人間、素直に生きるほうが、楽で楽しいのにね。
ことがありまして。そのひとつが「あいさつ」です。
散歩をしていると、同じように散歩をしている方
から「おはようございます」と声をかけられます。
最初の頃は、それが煩わしくて、あまり返事も
せず、なるべく声をかけられないようにしていた
のですが、どうもそういう気持ちで歩いていると
せっかくの朝の散歩が楽しくなくなっていくのに
気づきました。
なぜ、あいさつが煩わしいのか?と考えてみた
のですが、散歩のときくらいは一人になって
自然と触れ合っていたい、などということかな、
と自分なりに思ってみたりして。
でも、それって結果的にあまり快適ではないの
であれば、むしろ素直に受け入れる方がいいの
だろうなあ。
そう考えてからは、挨拶をされることも気になら
なくなり、むしろ自分から積極的にするように
したら、そのほうが気分よく歩けるのでした。
もちろん、以前のわたしのように、挨拶をしても
返してくれない方もいますが、それはそれで
気になりません。
挨拶のことなどを書くと、いまどき「偽善的」と
言われそうですが、そういう風潮そのものが
あまりよくないのかもしれません。
人間、素直に生きるほうが、楽で楽しいのにね。
今年の4月半ば、雪が消えた頃から、朝
なんとなくウォーキングを始めた。
最初は河原の釣り場を観て回るために
歩いたのだが、ちょうど道端の花が咲き始める
時期でそれを見るだけでも気持ちのいい時間
だった。それで、いろんなコースを歩いている
うちに習慣になってしまった。
朝5時頃に家を出て、2~3キロのコースを
1時間ほどかけてゆっくりと歩く。途中、川あり
山道ありで周囲の景色も変わっていく。
あまり気を入れてやるつもりはなかったのだ
けれど、先日、ついにウォーキング用の靴を
買いこんでしまった。
雪が降れば中断することになると思うが、楽しみ
ながら続けられればいいかな。
添付の地図のグリーンのラインが主なコース。
その日の気分でいろいろ組み合わせて歩いて
いる。